抵抗感は、修正すべき不具合ではなく、読み取るべき情報
先日、記事に海外の読者からコメントをもらいました。
https://substack.com/@karinalanzillotta/note/c-313184475?r=1piv4c
日々を測る時間のスケールを変える、という話に共感しつつ、こう続いていた。「自分の中の何かが特定の作業に抵抗を示すときは、もっと深い理由があるのかもしれない」と。
この一文が、ずっと引っかかっています。たしかにそうだな、と思ったからです。
抵抗感は「不具合」ではなく「情報」
タスクが進まないとき、私たちはすぐ方法論に手を伸ばします。
やる時間帯を変える。ハードルを下げる。ご褒美を用意する。通知を切る。習慣化の本を読めば、いくらでも打ち手は出てきます。私も何度もやりました。
でも、ちょっと立ち止まって考えると、抵抗が起きているのは、頭より先に身体が気づいているからなんじゃないか。「これは自分の向かいたい方向じゃないかもしれない」と。
だとすれば、抵抗を消すために方法を改善するのは、警告ランプを消したくてランプそのものを外すのに近い。ランプは消えます。問題は残ります。
抵抗感は、修正すべき不具合ではなく、読み取るべき情報なのかもしれません。
「効率が悪い」は、目的が決まっている人だけが言える言葉
やりたいことができているのか。目的に向かっているのか。そもそも、自分のやりたいことって何なのか。
そんな状態のまま進むのは、たしかに効率が悪い。それは自分でも分かっています。
ただ、効率という言葉は「目的地までの最短距離」の話です。目的地が決まっていない人には、そもそもその物差しが使えない。
目的が定まらない時期にやっているのは、移動ではなく探索です。探索の成果は、進んだ距離ではなく、見た景色の数でしか測れない。効率という言葉を当てはめた瞬間に、探索の価値はゼロ判定されてしまいます。
遠回りしている時間が、そんなに悪くないと感じるのは、たぶんそこを直感的に分かっているからだと思うんです。
やりたいことは、考えて出てくるより、やって減っていく
「本当にやりたいことは何か」は、机の上で答えが出るタイプの問いではありません。
紙に書き出して、自己分析ツールを回して、それで出てくるのは仮説までです。動いてみて、抵抗を感じて、「あ、これは違った」を一つずつ回収していく。その繰り返しでしか、輪郭は出てこない。
つまり、違和感を抱えたまま進んでいる期間そのものが、答えを作っている工程だということです。
無駄な時間を過ごしているように見えて、実際は選択肢を削っている。何もしていない期間より、はるかに情報が取れている状態です。
ジャーナリングは、迷いを消すためではなく、迷いを残すために書く
ここでジャーナリングが効いてきます。
書けば答えが出る、という話ではありません。書いても、その日は結局モヤモヤしたままです。
でも、どこで引っかかったかを記録しておくことには意味があります。
一ヶ月後、三ヶ月後に読み返したとき、毎回同じところで足が止まっていることに気づく。逆に、書くのが止まらなかったテーマも分かる。その場では点にしか見えなかったものが、あとから線になる。
迷いを解消するために書くのではなく、迷いを保存しておくために書く。そう思うと、答えの出ない日の記録にも、ちゃんと役目があります。
それでも、進みながら考えるしかない
抵抗を感じたら、まず方法を疑うのではなく、方向を疑ってみる。
でも、方向が分かるまで止まっているのも違う。動かないと情報が入ってこないからです。
結局、迷ったまま進むしかない。効率は悪い。それでも、その期間があったから分かることのほうが、たぶん多い。
続かない自分を責める前に、一度こう聞いてみてもいいんじゃないでしょうか。
これ、そもそも自分がやりたかったことだったっけ、と。
今日のジャーナリング用の問い
最近、いちばん手が止まったタスクは何ですか
それは「面倒だから」ですか、「気が進まないから」ですか
気が進まないとしたら、その先に何があると思っていますか



Muy cierto ... excelente reflexión y muy interesante punto de vista, no se me hubiera ocurrido ver a esa resistencia como información , la cual tal vez si descubrimos nos permita cambiar el rumbo o confirmarlo. 😊